Cooking Rebun

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日本最北限・北海道礼文島暮らし

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礼文島のフェリー事情、東京から礼文島までのアクセス

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(写真は地蔵岩)

 

 こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。この記事では、離島である礼文島のフェリー事情、東京から礼文島までのアクセスについて紹介します(※2017年現在)。

 

目次

   

礼文島のフェリー事情

フェリーは、礼文島と外の世界をつなぐ唯一の交通機関です。10年ほど前は礼文空港があったらしいのですが、今は休港になっているため飛行機は飛んでいません。

 

ハートランドフェリー礼文島とお隣の利尻島、そして稚内を結んでいます。所要時間は礼文島利尻島間で45分、礼文島稚内間で約2時間です。

観光客の多い夏は1日4便、冬の間は1日2便です。

 

礼文島稚内の時刻表はこちら:

www.heartlandferry.jp

 

フェリーは、波の高さによって欠航になったりします。欠航になるかどうかは当日までわかりません。おおよその目安として、波が4m以上だと欠航になると言われています。

そのため特に冬の間は、島の外に何か用事があった場合、天気予報とにらめっこして、欠航しそうであれば早めに島を出ることがあります。

 

欠航になるとコンビニの棚から物が消えてしまい、島外からの宅配が届かなくなるあたりは、離島暮らしのデメリットですね。

 

東京から礼文島までのアクセス

普通、東京から礼文島へ行く場合、 

 

羽田空港HND) → 飛行機(約2時間) → 稚内空港(WKJ)→ 宗谷バス稚内のフェリーターミナル → フェリー(約2時間) → 礼文島香深のフェリーターミナル

 

になります。羽田から稚内までは直行便で2時間で着くので楽です。接続がうまくいけば半日ほどで東京から礼文島に着くことができます稚内空港新千歳空港を結ぶ便もあるので、全国の主要都市から1回の乗り継ぎで稚内まで行くことができます。

 

また、安く済ませたい場合、主要都市から新千歳空港までLCCを利用し、そこからバスで稚内まで行き、礼文島行きのフェリーに乗るという手もあります。

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おわりに 

いかがでしたでしょうか。機会があれば、ぜひ一度礼文島を訪れてみてください。うになど、魅力的なものがたくさんありますよ。

 

北海道礼文島観光案内:夏の礼文島を代表する有名な海産物 -うに、のな-

f:id:hayato_kat:20170131230041j:plain(写真はうにをとる磯舟。波がないときのみ漁ができる)

 

こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。礼文島と言えば、うに。この記事では、夏の礼文島旅行の目玉のひとつである「うに」「のな」を紹介します。(随時更新予定)

 

目次

 

うに、のなって?

礼文島では2種類のうにが採れます。エゾバフンウニと、キタムラサキウニです。エゾバフンウニは6〜8月、キタムラサキウニは3月〜9月に漁があります。

島ではエゾバフンウニはそのまま「うに」、キタムラサキウニ「のな」と呼ばれています。

ムラサキウニはバフンウニよりも大きくて、紫色をしています。身は茶色くてあっさりしています。

バフンウニの殻は灰色で、身はオレンジ色で濃厚な食感です。

 

一般的にはのなよりもうにの方が高級とされていますが、のなの方が好きという島の人も意外に多いようです。ちなみに、私自身はうにの方が好きです。

 

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(写真は海鮮処かふかの二色丼。バフンウニといくら)

 

礼文島のうにが美味しい理由

(1)礼文島のうには利尻昆布を食べて育っている

礼文島のうにが全国のうにの中でも特別美味しいのは、うにが高級な利尻昆布を食べているからだと言われています。実際、生きたうにやのなをカチ割ってみると、中から利尻昆布が出て来ます。

 

(2)礼文島のうに、のなはミョウバンを通していない

うには通常、数日で溶けてしまします。ですので、普通都会などで出回っているうにはミョウバンを通すことで、溶けないようにしています。加えて、ミョウバンに通すと色が良くなるそうです。

ですが、うにをミョウバンに通すと苦くなってしまいます。はっきり言って味が変わってしまうのです。一方、礼文島のうにはミョウバンを通していないので、本当に美味しいです。一度礼文島のうにを食べてしまったら、もう二度と他の場所でうにを食べることはできなくなるでしょう。ぜひ、一度島に来てご賞味ください。行けないよという方は、うにの缶詰が船泊漁業組合から出ているので買ってみてください。

 

 

美味しいうに丼が食べられる店

(リンクは食べログ

 

○武ちゃん寿司

https://tabelog.com/hokkaido/A0109/A010906/1001183/

 

○炉端 ちどり(ここは「ほっけのちゃんちゃん焼き」もおすすめ)

https://tabelog.com/hokkaido/A0109/A010906/1007832/

 

海鮮処かふか

https://tabelog.com/hokkaido/A0109/A010906/1005453/

 

○あとい食堂

https://tabelog.com/hokkaido/A0109/A010906/1004613/

 

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関連記事:

matome.naver.jp

  

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北海道礼文島生活:島暮らしで衝撃を受けた美味しい海産物3つ -タコ、ボタンエビ、つぶ貝-

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(写真は船泊村あとい食堂の海鮮丼)

 

こんばんは。地域おこし協力隊のはやとです。この記事では、私が礼文島に来て衝撃を受けた美味しい海産物3つを紹介します。

 

(私が島に来た経緯は以下の記事を読んでください)

cookingrebun.hatenablog.com

 

目次

 

(1)タコ

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島に来て間もないころ、隣に住むおばあちゃんにいただいたのが上記写真のタコです。食べてみて、本当にびっくりしました。今まで私が本州でタコだと思って食べていたものはいったいなんだったのか。あれはただのゴムだ。そう思ってしまったほど、タコの美味しさは衝撃的なものでした。

 

(2)ボタンエビ

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島ではボタンエビがとれます。島のボタンエビは大きくて、身が透明でぷりぷりしています。本当に鮮度の高いものは、刺身にして頭も食べてしまいます。頭のミソは本当に美味しいです。ちなみに、船泊村では漁業組合直営店「あとい食堂」でエビやウニを堪能することができます。(記事はじめの海鮮丼)

 

○あとい食堂(夏季のみ)

住所:北海道礼文郡礼文町船泊村金田ノ岬

https://tabelog.com/hokkaido/A0109/A010906/1004613/

 

(3)つぶ貝

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つぶ貝は、私は島に来てからはじめて食べたのですが、これもまた美味しいです。刺身にするもよし、酒蒸しもよし、焼いてもよし。酒のつまみにぴったりです。写真のつぶ貝は香深村の漁業組合直営店「海鮮処かふか」で食べたものです。

 

海鮮処かふか

住所:北海道礼文郡礼文町香深トンナイ558-1

https://tabelog.com/hokkaido/A0109/A010906/1005453/

 

いかがでしたでしょうか。やはり、礼文島で手に入る海産物の鮮度は都会とは全く違います。

 

他にもウニ、いくらなど、驚いた食材はたくさんありますので、随時記事を書いていきたいと思います。

 

 

礼文島ホテルの予約:

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他の食材についての記事:

cookingrebun.hatenablog.com

 

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北海道礼文島生活:冬の珍味「たちかま」

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こんばんは。地域おこし協力隊のはやとです。今日、私の大好きな「たちかま」をいただいたのでレポートします。

 

「たちかま」は、たちのかまぼこです。「たち」は鱈の白子のことです。たちはそのまま茹でてポン酢につけるのも美味しいのですが(通称たちぽん)、私はかまぼこにしたほうが好きです。

 

このたちかま、ものすごく美味しいです。この美味しさをどうやって伝えればよいのかわからないくらい美味しいです。本当にうまい。ポン酢で食べたり、味噌汁の具にしたりします。酒のつまみにも最高です。

 

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たちに塩をかけてすりつぶし、裏漉しをしたあと茹でるとたちかまになるのだそうです。

 

とても貴重なものですので、島にいても滅多に手に入りませんが、居酒屋のメニューであることはあるので(フェリーターミナルそばの「海鮮かふか」で見たことがある)、冬の礼文島にきたらぜひ一度探してみてください。

 

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その他の私が好きな珍味:

cookingrebun.hatenablog.com

北海道礼文島で冬を越すために必要なもの

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今週のお題「冬の寒さ対策」ということで、北海道礼文島で冬を過ごすための寒さ対策、もう少し広げて礼文島の冬の生活のマストアイテムをお届けします。

 

私は本州の出身であり、北海道に住むのは初めてだったので、冬が来る前は戦々恐々としていました。私が今まで過ごした場所はみな、雪がほとんど降らない場所だったのです。マイナス十何度などという気温は、想像もできなかったです。

 

当然、雪国用の防寒具など持っていなかったので、島の人の話を聞きながら揃えました。以下、買ってよかったものを紹介します。これから礼文島や北海道など雪の降る寒い地域に移住する人のお役に立てればと思います。

 

目次

   

スノーブーツ

雪の中でも歩けるスノーブーツ、もしくは冬用の長靴は必須アイテムです。いろいろ調べた結果、SORELのカリブーウールがかっこよかったので購入しました。とても気に入っています。マイナス40度まで耐えられるそうです。

実際、島でSORELのブーツはよく見かけます。

 

 

ヒートテック

ユニクロヒートテックはぜひとも買っておきたいです。特に、島にはユニクロがないので、移住する前に買っておいたほうがよいでしょう。

 

ママさんダンプ(通称ママダン)

 なんだそれ?と思ったことでしょう。ママダンとは、雪かきのときに使う大きなシャベルのようなものです。スコップよりも多くの雪を楽に運ぶことができます。礼文島の人はおそらくみんな持っていると思います。

 

 

以上です。とりあえず、これだけあればなんとかなります。というのも、北海道の建物はみな冬のことを考えて作られており、窓は二重窓、玄関も二重になっています。どの家にも強力な石油ストーブがあり、公共施設の暖房は暑いくらいです。なので下手に厚着をしていると、部屋の中で地獄をみることになります。

車に乗る場合、スタッドレスのタイヤにすることはもちろん、ワイパーも冬用のものに変えます。

 

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(超強力石油ストーブ。家の外にある油を入れる大きなタンクとつながっている。タンクは各家庭に備え付けられており、 ENEOSなどのガソリンスタンドに頼んで油を入れてもらう。タンクを満タンにすると3万円以上かかり、入れても1〜2ヶ月でなくなってしまう。冬の暖房費はとても高い)

 

究極の寒さ対策は、慣れることです(笑) この記事が、礼文島に移住する人のために少しでもお役に立てればと思います。

 

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北海道礼文島移住雑感:「地域おこし協力隊」の月と6ペンス

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(写真はトド島展望台から見た夏の礼文島の景色)

 

こんにちは。礼文町地域おこし協力隊のはやとです。もうすぐ協力隊員として礼文島に着任してから1年が経ちます。そこで「地域おこし協力隊」に興味がある人向けに、制度について、なぜ自分は協力隊になったのか、礼文島で実際に1年活動して何を感じたのかを書いていきたいと思います。(ちなみにブログ記事タイトルの「月と6ペンス」は、サマセット・モームの同名の小説からとったもので、「手の届かない理想」と「現実」のコントラストを象徴しています)

 

doogear.hatenablog.com

 

目次

 

「地域おこし協力隊」制度とは

「地域おこし協力隊」は、主に都市部に住んでいる人が、田舎に最大3年間移住し、起業や就業・就農を目指す制度です。総務省の事業で、実際に運用しているのは受け入れ先の地方自治体です。協力隊の仕事は、「移住定住の促進」「観光PR」「青少年教育」など多岐にわたります。自治体ごとに異なるので、このあたりは説明会などに行ってすり合わせをするのがよいでしょう。応募者も自分の人生を賭けた選択なので、聞きたいことは根掘り葉掘り聞いた方がいいと思います。できれば実際にその地域に行って、役場の方等とお話しするのがベストです(自分は礼文島が遠過ぎるのでできませんでしたが)。

 

www.iju-join.jp

 

なぜ自分は地域おこし協力隊になったのか

私には「このままでは日本が危ない!地方創生を現場から巻き起こしてこの世界を変えるんだ!」というような高い志はありませんでした。ではなぜ地域おこし協力隊になったのか。それは、「都会で大企業の社員として過ごす人生」以外の選択肢を探りたかったからです。順を追って説明します。

 

(1)学生時代:世界中を旅してまわった

私は大学時代を東京で過ごしました。また、在学中の暇な時間を使ってヨーロッパ、アメリカ、ロシア、アフリカなど世界中を旅しました。

そして旅をしながら、住んでいた東京や、世界中の都市でリアルタイムに進行していたグローバル化市場経済に強い違和感と不安を持ったのです。

「もし、世界が画一化してしまったら?」「チェーンの飲食店が世界の隅々まで覆ってしまったら?」その不安は、当時大学で学んでいた経済学の「利潤最大化」「ホモ・エコノミクス」などの考え方や、カール・ポランニーが『大転換』で述べていた経済至上主義への批判などとあいまって、徐々に世界に対する違和感として自分の心の中に沈殿していきました。

 

(2)社会人:「理想卿」としての田舎暮らしを夢想する

結局、旅から帰ってきたあとは普通に就職活動をして、企業に就職しました。しかしすぐに退職してしましました。前述の、「都市」に対する私の考え方と働き方の間の認知不協和が私を苦しめたのかもしれません。また、当時は社会人経験がほとんどなかったため、読んできた本の中の諸概念にがんじがらめになっていた可能性もあります。

 

会社を退職した後は、友人を頼りに、日本全国を旅してまわっていました。しかし、日本全国を旅していても、自分がこの先どうすればいいかは霧の中でした。

 

そんな中で、学生時代、アフリカ・スーダンのハサバラ村に行ったことを思い出しました。現地の伝統的な生活に触れた際、連れていってくれた国際NGOの代表に言われたある言葉を思い出したのです。

 

やっとのことでハサバラ村に電気を通し、救急車などを整備した彼に向かって、22歳の怖いもの知らずの私は「電気は、村の人々を本当に幸せにするのでしょうか?」と投げかけました。今から考えればすごいことを言ったなと笑ってしまいますが、彼はそれに対してこう返したのです。

 

「お前、ハサバラ村に住んだ方がいいんじゃないか?村で嫁さんもらって」

 

そう言われたときは「まさか」と思っただけでそんなに記憶に残っていませんでした。しかし日本中を旅しているうちに、自分の心の中でこのセリフが大きなウェイトを占めるようになりました。そして、たまたま友人に「地域おこし協力隊」制度のことを教えられ、スーダンは無理だが礼文島ならいけるかもしれないと思い、応募してみたのです。礼文町の案件をHPで見たその日に履歴書を書いて送りました。

 

(3)礼文町への着任:新たな価値観を求めて

あっという間に面接・採用となり、礼文町に「地域おこし協力隊員」として着任しました。初めて出勤した4月10日、役場や警察などで住民票や免許証などの手続きをしていると、雪が降ってきたのを今でも覚えています。われながらすごいところへ来てしまったと思いました。

 

そして、時間通りに届かない郵便、下水の通っていない環境に驚きながら、与えられた仕事を一生懸命こなしていました。島の方に魚をいただいたり、夏の観光アルバイトで来た女の子と花火を見たり、充実した日々を送っているうちに、1年近くが経ちました。もちろんいいことばかりではありません。辛いことも結構ありました。爆弾低気圧が来てフェリーが欠航になった日の朝の気分は本当に最悪です(笑)

 

1年が過ぎると、少しはものが見えてくるようになります。

最近は、今まで与えられていた定型の業務に加えて、礼文町の「地域おこし」について調査する仕事をしています。

 

「地域おこし」とは何か?

しかしこの「地域おこし」というものが曲者で、考えれば考えるほど、また住民の話を聞けば聞くほど、逆にわからなくなってきます。机上では簡単に述べられる「地域おこし」の概念も、いざ現実にぶつかってみると、複雑怪奇なものになりました。同じ島でもたくさんの人がいて、異なる方向を向いているのです。時に人は驚くほど異なったものの見方をするものであり、自分の思い通りにはならない。協力隊活動1年目で学んだ一番大きな果実はこれかもしれません。「地域おこし」とは何か?という問いは、突き詰めれば「幸せとはなにか?」「人はどう生きるべきか?」という個人の哲学的な問いになっていくと思います。

 

最後に

結局、スーダンの村に電気を通した方がよかったのかはわからないままです。前述のNGOの代表があの時私に言いたかったのはおそらく、現実の感覚を持て、ということだったのでしょう。勝手にそう解釈しています。

現実は、学生時代に自分が考えていたような「抑圧された都会と解放された田舎」のような単純な図式ではまったくありませんでした。しかし、それを知れたこと自体、大きな収穫です。礼文島に来て、自分の視野が一回り広くなったのはきっと気のせいではないと思います。

 

もうすぐ協力隊活動は2年目になります。その後どうなるのかはまだ未知数です。地域おこしを続けるのはひとつの選択肢です。辞めて元どおりの「都会で会社員として働く人生」に戻ることも十分あると思います。 

 

この記事がどこまで協力隊を考えている人の参考になるかはわかりませんが、何かしらのヒントになれば幸いです。

 

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北海道礼文島移住雑感:東京から北海道礼文島に移住してよかったと思うこと

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こんにちは、はやとです。礼文島ではカニ漁が始まっています。

今日は、東京から礼文島に移住してよかったと感じた4つの点を書いていきたいと思います。

目次

 

(1)空気がきれい

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個人的には、これが一番ではないかと思います。普段、島にいる間は全く意識しませんが、たまに東京や名古屋近郊の実家に帰るととてつもなく空気が汚いと思うようになりました。空気は、当たり前すぎてその価値をなかなか意識することはないですが、きっと心身によい影響を与えてるのだと思います。

 

(2)食べ物がおいしい

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礼文島でまずい食べ物に出会うことはあまりありません。漁師さんの知り合いからたまにもらう魚介類は格別です。生きたカニやとれたばかりの生々しいほっけなどと自分で格闘しなければならないこと自体、私にとってかけがえのない貴重な経験になっていることと思います。

 

(3)自然が豊か

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晴れた日の礼文島は、本当に美しいです。ちょうど昨日も、船泊から香深への通勤途中に見えた海、太陽、利尻富士のあまりの美しさに息をのみました。一年を通して、太陽の偉大さ、自然の声などを身近に感じることができると思います。

 

(4)価値観の変化

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礼文島では、お金を払う機会が都会よりも少ないです。すぐそこの漁港でとれた魚介類を運が良ければそのままいただくこともできます。その代わり、私も何かをします。都会ではすべてのものに値札が付いていますが、島ではそんなことはありません。東京では考えられなかったような視点が、礼文島にはあります。

 

 いかがでしたでしょうか。私自身、若い時期にこの島に来れて本当によかったと思います。また随時、移住してよかったと思うこと、そして「東京の方がよかった」と思うことの両方をアップしていきたいと思います。

 

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