北海道礼文島移住雑感:礼文島における地域のつながり -「コミュニティ」は存在するのか?-
(写真は礼文島・船泊村にある「タコ公園」)
こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。
「地域おこし」というと、みなさん何を想像しますか?
観光振興などによって地域経済を活性化する、地域の人口を増やして集落機能の低下を食い止める、など、様々なことが思い浮かぶと思います。あるいは逆に、「地域おこし」と言われてもピンと来ないかもしれません。
「地域おこし」と聞いてすぐに連想されるのは、「コミュニティ」という単語かもしれません。
たとえば、現在千葉県いすみ市にて地域おこし協力隊をしている、私の学生時代の友人が書いた「地域おこし」に関する記事です。
他にも、山崎亮『コミュニティデザインの時代』など、地域とコミュニティを語った文献は多いと思います。
コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書)
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私自身、東京から礼文島に移住し、島のコミュニティに関心を抱き続けてきました。
その背後にあるのは、私が都会にいた頃に感じていた「コミュニティの不在」あるいは「コミュニティ」への憧憬でした。
アメリカの社会学者ウェルマンは、カナダの大都市トロントの一地区において人々のつながりについての調査を実施し、都市部の人々は彼らが考えているほどつながりが失われているわけではないことを明らかにしました。
一方で、そのつながりは、親族、同郷などの単一のグループに属したものというよりは、様々なグループのつながりを同時に持っている状態であり、それゆえ都市部の住民は帰属意識やアイデンティティの喪失を感じている可能性がある、と指摘しています(Wellman, 1979)。
ところで、コミュニティとはそもそも何でしょうか?
それは、つながりの集合体なのか、単一の組織なのか。
礼文島において「つながり」を生み出す場として機能していると考えられるのは、地縁、職場、バレーボールの集まりなどのインフォーマルな場、などがあげられると思います。また、礼文島には自治会などの組織も存在します。
「地縁に基づいた互酬的な共同体」などと言うと聞こえがいいですが、こうした結合度の高いネットワークは、相互監視的な圧迫感や逸脱者へのインフォーマルな制裁などを含んでいると考えられます。そうした「田舎的な」側面を嫌う人は多いと思います。
では、都会に住んでいる(いた)私たちは、一体コミュニティに何を求めていて、何を作りたいのでしょうか?
私がコミュニティに関心を持つようになった大きなきっかけは、家の隣に住む島のおばあちゃんの存在です。
私自身、ほぼ同い年の祖母がおり、祖母は現在都会に住んでいます。二人とも夫に先立たれ、現在一人暮らしをしています。つまり、非常に条件が似ているのです。
現在も島の「あみ外し(漁で網にかかった魚を外す仕事)」に関わる島のおばあちゃんと、教師を退職しドトールや図書館などで時間を潰すおばあちゃん。
彼女たちと関わっていくうちに、かなり早い段階で、「コミュニティ」や「つながり」が彼女たちにダイレクトに与えるプラスの影響の重大さを察知しました。私の見たところ、彼女たちに存在の意味や生きがいを与えるのは、テレビでもパソコンでもなくつながりであり、彼女たちはコミュニティのようなものを渇望しているのだと、肌で感じました。それが、私が礼文島においてコミュニティの調査をしようと考えたきっかけでした。
現在、私たち協力隊は、役場と連携して、島民を対象に、「地域おこし」への意識を調査しています。その際、「地域おこし」への意欲や関心を説明する説明変数として、地域住民の持つ個人的なネットワーク(エゴセントリックネットワーク)に着目し、可能な範囲で住民のエゴセントリックネットワークについて調査しています。
また、私の関心は、「島の人(島内で生まれ育った人)」と「移住者」がどれだけ混ざり合っているのか、あるいは閉じたネットワークを形成しているのか、という点にもあり、合わせて調査しています。地域おこし協力隊をはじめ、島に移住者を呼ぶためには、移住における障壁についての知見が有用であると考えられるためです。
(興味のある方用に、調査計画書をアップしておきます)
調査はまだはじまったばかりですが、また何か明らかになった知見があれば、記事にしていきたいと思います。
(参考文献)
Wellman, 1979 "The Community Question: The Intimate Networks of East Yorkers", American Journal of Sociology, 1979;84: 1201-31
リーディングス ネットワーク論―家族・コミュニティ・社会関係資本
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北海道礼文島移住雑感:私が礼文島で学んだもの -「共同体感覚」について-
(写真は昨日撮った猫岩)
こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。
前回、こんな記事を書きました。礼文島への一移住者としての視点を書いたものです。
今回も、ひとりの都会からの移住者として、自身が礼文島で学んだ事柄について書いていきたいと思います。
「共同体感覚」について
ここでいう「共同体感覚」は島で自分が感じたことを概念化したものです。ですので、私の言う意味として理解していただければと思います。
島に来る前、私は東京に住んでいました。
東京では、大学に通っていたり、会社員として働いていました。
わずかの間ですが、東京都にも税金を納めていました。
しかし、仕事等を通じ、私が「自分は東京という共同体の一員なのだ」という意識は皆無でした。
そこでの仕事は純粋に自身の労働力、時間と引き換えに賃金を得るという純粋に個人的な交換行為であり、あくまで個人的なものに過ぎませんでした。
こう思ったことはあります。毎日ある時間になると労働者の群衆が通勤ラッシュで大手町など数カ所に集められ、ある時間になると離散していく様を見て、自分たちは東京という巨大で自律的なシステムの道具になっている。さながらフリッツ・ラングの映画『メトロポリス』のような世界です。自分は、自らの生産物、あるいは東京という都市から疎外されているように感じました。
最近よく「絆」や「つながり」の必要性が叫ばれ、「公共哲学」が提唱されていたりします。孤独死なども身近な問題になっており、「明日は我が身」と怯える人もいると思います。礼文島社会も決して例外ではないと思います。
しかし、そんな中で私が礼文島で働きながら感じたのは、自身が「島という共同体の一員」であり、「島社会の責任の一端を負っている」という感覚です。良いことも悪いこともともに分け合う、そんな感覚です。それはよく言えば「つながりが強固である」ということであり、悪く言えば「しがらみが強固である」ということです。
島は小さいので、自身がする仕事の島に対する貢献や成果が見えやすい。それが共同体感覚にも繋がっていると思います。逆に言えば、東京の経済システムはあまりにも巨大過ぎ、また非人格的すぎるので、そういった感覚を持ちにくい、あるいは持てないのだと思います。
もし仮に、現在が「無縁社会」として行き詰まっているのであれば、こうした「共同体感覚」は次の社会のための鍵概念になり得ると私は思います。他人の行為にもある程度の責任を引き受ける。この「足枷」が重要なのではないのかと島に来て改めて思いました。
(参考)
北海道礼文島移住雑感:礼文島における「資本主義」について
(写真は桃岩展望台)
こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。本州はもう初夏のようですが、こちらはまだストーブをつけています。
今回は、島に住みながら最近考えたことを書いていきたいと思います。
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時折、役場の上司であるK氏と島の観光や地域おこしについて議論をすることがあります。
K氏は少し変わった人で、既存の行政の仕組みに止まらず、自らの発想のもと、横断的に動き回るような人です。「すごい人だ」と言われる一方で、「ついていけない」と言う人もいます。
私のみたところ、彼はとても資本主義的な考え方をする人です。それが他の島の人に理解されづらい所以だと思います。資本主義的な考え方とは、「投資」-「利益拡大」に基づく拡大再生産の考え方や、KPIの設定などをもとに未来の予測を立てる思考方法のことです。
「漁業や観光などの現在の生産を維持するだけでは、人口減少と合わせて収益も減っていく。そうなれば礼文町はいずれ立ちいかなくなるはずであり、その前に定住政策にしろ産業にしろ手を打たなければならない」
それがK氏の持論です。現在礼文島の漁業や観光業は比較的潤っているため、差し迫った危険というものはありません。しかし長期的に見れば、彼の言うことも真実性を帯びて来ます。
公共インフラや社会保障が貨幣を媒介として成立している以上、その貨幣を稼がなければならない。K氏は極めて論理的であり、定年退職を前にして、彼は使命感を持って「仕事」に取り組んでいます。しかし、島の人たちのなかには彼の議論に「?」となっている人もいます。
私はこの状況を見ていて、たまたま最近読んだフランスの社会学者ブルデューの『資本主義のハビトゥス -アルジェリアの矛盾』で展開されていた、「資本主義的な」システムと「前資本主義的な」アルジェリア人の間におこっている矛盾に関する議論に類似点を見出しました。
「ハビトゥス」とは、その人の潜在的な行動様式や思考・習慣のことであり、ブルデューは本の中で資本主義化されたフランスによって植民地にされたアルジェリアの現場を考察しています。
ブルデューの見立てでは、アルジェリア人はもともと前資本主義的なハビトゥスを持っており、それは計算することによって未来を予測する発想の欠如、あるいは生産したものを消費するのみで投資に回さないという現在志向あるいは伝統などの過去志向を特徴としています。これは、(こう言ったら怒られるのかもしれませんが)一般的な島の人の思考回路に似ていると思います。それゆえに、K氏の主張がまわりに理解されにくいのではないかと思います。
K氏の言うことは、私にはよく理解できます。彼の言うことは「都会」ではごく当たり前なことだからです。
では、私がK氏の主張に賛成しているのかと言えば、決してそうではないと思います。私はそもそも「資本主義のハビトゥス」を持つ都会のバイオリズムに疑問があって島に来たからです。
もともと経済至上主義的な社会システムに疑問を持っていた私は、経済人類学者カール・ポランニーが『大転換』などで主張したように、経済に社会が埋め込まれるのではなく、社会に経済を埋め込むべきであると考えています。私は、貨幣を媒介としない魚などの物々交換や共助のシステムに興味を持って観察していました。
しかし私が島で目にしたのは、都会と同じように家族や地縁ではなく貨幣を媒介とした社会システムに移行しつつある社会でした。社会学者テンニースは100年以上前に近代化のことを「ゲマインシャフト(地縁共同体)からゲゼルシャフト(利益共同体)への移行」と表現していましたが、まさに礼文島社会もゲマインシャフトは過去のものになりつつあります。
ではK氏の言うように、経済的な考え方がすべてなのかと言われれば、私はそうではないと思います。
私は経済至上主義的な現在だからこそ、互酬性などの「社会的なもの」が重要であると考えています。また、資本主義のハビトゥスに包含された、行き過ぎた「未来志向」、終わりなき拡大再生産への圧力が我々人間を疲れさせていると思っています。私はブルデューの言う「前資本主義的的なハビトゥス」に可能性を見出しており、そう言った視線で礼文島のことを見ています。
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結論めいたものはありませんが、島の暮らしの中で考えたことがお役になればと思って書きました。
余談ですが、最近私はハンナ・アレントの『人間の条件』を再読しています。アレントは人間の活動力を「労働」「仕事」「活動」に分けて、その3つのうち、現在は必要の奴隷である「労働」に過剰な価値が与えられていると論じています。そんな社会において、K氏は「労働」からはみ出て「仕事」「活動」をしているように私には見えます。
そんな生き方もあるのだと、24歳の私は5月の空をみながらぼんやりと思いました。
(参考文献)
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ゲマインシャフトとゲゼルシャフト 下―純粋社会学の基本概念 (岩波文庫 白 207-2)
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北海道礼文島生活:ギョウジャニンニクについて
こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。
今週のお題「ゴールデンウィーク2017」。みなさんはいかがお過ごしでしょうか?
今日は、山菜採りに行ってきました。北海道の定番、ギョウジャニンニクです。
以前から気になっていたものの、今回初めて食べました。
その様子をお届けします。
目次
ギョウジャニンニクって?
にんにくとついていますが、白い「にんにく」の部分はなく、どちらかと言えばニラに近いです。別名、アイヌネギとも言われています。
昔は修行中の行者が食べたと言われており、とても栄養価が高い反面、臭いです。
ギョウジャニンニクの食べ方
島の人に教わった食べ方と、実際に食べてみた感想をお伝えします。
1.めんみにつけて生で食べる
ギョウジャニンニクを生のまま、めんみにつけて食べる方法です。めんみとは、北海道で主流の調味料で、めんつゆとみりんとだしを足したものです。
この方法が一番ギョウジャニンニク感がありました。辛くて素材そのままの味がしました。そのあとトイレで吐きました。
2.茹でたあと、めんみにつけて食べる
ほうれん草と同じ要領で茹で、めんみにつける方法です。
味は生よりもマイルドになり、食べやすかったです。
3.ジンギスカンにする
「ベルのジンギスカンのたれ」、もやし、ピーマン、ラム肉とともにギョウジャニンニクを炒めました。非常に美味しかったです。
北海道のソウルドリンク、ガラナも一緒に味わいました。
みなさんも、ギョウジャニンニクを是非一度食べてみてくださいね!
北海道礼文島観光案内:レブンアツモリソウについて
こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。
5月に入り、のな(キタムラサキウニ)漁も始まりました。徐々に観光客の姿が見え始め、活気付いてきた今日この頃です。
今回は、5月下旬に開花する希少種、島を代表する花、レブンアツモリソウについて書きたいと思います。
レブンアツモリソウについて
5月下旬には礼文島の固有種「レブンアツモリソウ」が咲きます。
レブンアツモリソウは希少な高山植物で、かつては盗掘がひどかったようです。
現在は主に「レブンアツモリソウ群生地」にて見ることができます(5月下旬〜6月。要確認)。
なお、礼文島のゆるキャラ「あつもん」はレブンアツモリソウからとられています。
みなさんも、この機会にぜひレブンアツモリソウを見にきてくださいね!
北海道礼文島移住雑感:都会から礼文島に来て困ったこと
(写真は4月の利尻富士)
こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。
以前、東京から礼文島に移住してよかったことを書きました。
前回予告したように、今回の記事では逆に礼文島に来て困ったことなどをあえて書いていきたいと思います。
目次
1.夜やっている店が少ない
「さあ、飲みに行こう」と思っても、夜に店が営業していないこともしばしば。島において、営業時間はあってないようなものです。
2.コンビニが1軒しかない
都会にいた頃は、「コンビニ多すぎじゃね?」と思ったりもしていましたが、島に来て、逆にコンビニのありがたさがよくわかりました。最寄りのコンビニ(セイコーマート)は、家から徒歩10時間以上。
3.どこで何をしていたのかバレる
自分が持っている車がまわりの人に把握されているため、どこで何をしているのかがわかってしまいます。
4.回覧板の頻度が異常
同時に2枚も3枚もまわってくることもあります。
5.都会に比べれば退屈さは免れない
映画館、美術館、巨大な本屋や家電量販店はありません。そういった類の刺激は少ないです。
おわりに
結局のところ、大切なのは、自分にとって何が大事なのかを見極めることだと思います。ネットの時代ですので、Amazonで注文すれば3日後には届きます。また、若い男性には辛いことに、若い女性が少ないです。ただ、礼文島は夏の観光時期にアルバイトで若い女の子が来るので、彼女たちをめぐって島の男たちが繰り広げる熱いバトルが結構青春だったりします。長い冬を耐え忍んだ分、夏に一瞬の花火が爆発するのです。
北海道礼文島移住雑感:礼文島の日没を見届けて感じること
こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。最近は日も長くなり、晴れる日も増え、週末はニコンのカメラを片手に日没を見届けるようになりました。
島に来て約一年、繰り返される日没を見届けながら、感じていることがあります。それは「太陽の力」、そして「昼」と「夜」の関係性についてです。
太陽が出ていれば明るくて、沈んだら暗くなる。そんな当たり前のことを島にいると強く感じます。
都会にいた頃、「夜」のイメージは華やかなものでした。渋谷などの街が静まり返るのは、始発前、午前5時ごろだったと思います。一方、島の夜は本当に静かで真っ暗です。正直怖いです。
しかし、この「怖さ」こそが夜を支配する本当の原理だと思うのです。心の闇が顔を出すのも大抵夜だと思います。
日没は「昼」と「夜」の境界線です。実際、日没を見届けたあとは急激に身体が冷えていきます。
最近、宮崎駿の『もののけ姫』を観ました。『もののけ姫』では、前述の「昼」と「夜」の関係性がシシ神を通して象徴的に描かれていると私は解釈しています。
たとえば作品の最後、破壊と殺戮に塗れた巨大なデイダラボッチが消えていくことで長い「夜」が終わり、「昼」がやってきます。そして新たな生命が暗示されます。
ついでに言えば、「命を与えもするし、奪いもする」シシ神は、自然そのものの象徴であると思います。海は人の命を時として奪いますが、同時に恵みをあたえてくれる存在でもあります。
生きている限り、「昼」と「夜」の終わりなき交代プロセスが続くのではないか。島に暮らしているとそう思います。
独りで静かに海の向こう側にいる太陽が沈むのを黙って眺めていると、自分の存在の輪郭が浮き上がるような感覚になります。無限に近いような強力な太陽を前にして、自分の有限性を自覚するのです。昔の人々の間に素朴な太陽信仰が現れたのも無理はないと思います。
私は日没を見届けるとき、太陽に小さな声で「さよなら」をします。そして暗い夜を待ち受けるのです。