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北海道礼文島移住ライフハック

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北海道礼文島移住雑感:「地域おこし協力隊」の月と6ペンス

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(写真はトド島展望台から見た夏の礼文島の景色)

 

こんにちは。礼文町地域おこし協力隊のはやとです。もうすぐ協力隊員として礼文島に着任してから1年が経ちます。そこで「地域おこし協力隊」に興味がある人向けに、制度について、なぜ自分は協力隊になったのか、礼文島で実際に1年活動して何を感じたのかを書いていきたいと思います。(ちなみにブログ記事タイトルの「月と6ペンス」は、サマセット・モームの同名の小説からとったもので、「手の届かない理想」と「現実」のコントラストを象徴しています)

 

doogear.hatenablog.com

 

目次

 

「地域おこし協力隊」制度とは

「地域おこし協力隊」は、主に都市部に住んでいる人が、田舎に最大3年間移住し、起業や就業・就農を目指す制度です。総務省の事業で、実際に運用しているのは受け入れ先の地方自治体です。協力隊の仕事は、「移住定住の促進」「観光PR」「青少年教育」など多岐にわたります。自治体ごとに異なるので、このあたりは説明会などに行ってすり合わせをするのがよいでしょう。応募者も自分の人生を賭けた選択なので、聞きたいことは根掘り葉掘り聞いた方がいいと思います。できれば実際にその地域に行って、役場の方等とお話しするのがベストです(自分は礼文島が遠過ぎるのでできませんでしたが)。

 

www.iju-join.jp

 

なぜ自分は地域おこし協力隊になったのか

私には「このままでは日本が危ない!地方創生を現場から巻き起こしてこの世界を変えるんだ!」というような高い志はありませんでした。ではなぜ地域おこし協力隊になったのか。それは、「都会で大企業の社員として過ごす人生」以外の選択肢を探りたかったからです。順を追って説明します。

 

(1)学生時代:世界中を旅してまわった

私は大学時代を東京で過ごしました。また、在学中の暇な時間を使ってヨーロッパ、アメリカ、ロシア、アフリカなど世界中を旅しました。

そして旅をしながら、住んでいた東京や、世界中の都市でリアルタイムに進行していたグローバル化市場経済に強い違和感と不安を持ったのです。

「もし、世界が画一化してしまったら?」「チェーンの飲食店が世界の隅々まで覆ってしまったら?」その不安は、当時大学で学んでいた経済学の「利潤最大化」「ホモ・エコノミクス」などの考え方や、カール・ポランニーが『大転換』で述べていた経済至上主義への批判などとあいまって、徐々に世界に対する違和感として自分の心の中に沈殿していきました。

 

(2)社会人:「理想卿」としての田舎暮らしを夢想する

結局、旅から帰ってきたあとは普通に就職活動をして、企業に就職しました。しかしすぐに退職してしましました。前述の、「都市」に対する私の考え方と私の働き方の間の認知不協和が私を苦しめたのかもしれません。また、当時は社会人経験がほとんどなかったため、読んできた本の中の諸概念にがんじがらめになっていたのかもしれません。

 

会社を退職した後は、友人を頼りに、日本全国を旅してまわっていました。しかし、日本全国を旅していても、自分がこの先どうすればいいかは霧の中でした。

 

そんな中で、学生時代、アフリカ・スーダンのハサバラ村に行ったことを思い出しました。現地の伝統的な生活に触れた際、連れていってくれた国際NGOの代表に言われたある言葉を思い出したのです。

 

やっとのことでハサバラ村に電気を通し、救急車などを整備した彼に向かって、22歳の怖いもの知らずの私は「電気は、村の人々を本当に幸せにするのでしょうか?」と投げかけました。今から考えればすごいことを言ったなと笑ってしまいますが、彼はそれに対してこう返したのです。

 

「お前、ハサバラ村に住んだ方がいいんじゃないか?村で嫁さんもらって」

 

そう言われたときは「まさか」と思っただけでそんなに記憶に残っていませんでした。しかし日本中を旅しているうちに、自分の心の中でこのセリフが大きなウェイトを占めるようになりました。そして、たまたま友人に「地域おこし協力隊」制度のことを教えられ、スーダンは無理だが礼文島ならいけるかもしれないと思い、応募してみたのです。礼文町の案件をHPで見たその日に履歴書を書いて送りました。

 

(3)礼文町への着任:新たな価値観を求めて

あっという間に面接・採用となり、礼文町に「地域おこし協力隊員」として着任しました。初めて出勤した4月10日、役場や警察などで住民票や免許証などの手続きをしていると、雪が降ってきたのを今でも覚えています。われながらすごいところへ来てしまったと思いました。

 

そして、時間通りに届かない郵便、下水の通っていない環境に驚きながら、与えられた仕事を一生懸命こなしていました。島の方に魚をいただいたり、夏の観光アルバイトで来た女の子と花火を見たり、充実した日々を送っているうちに、1年近くが経ちました。もちろんいいことばかりではありません。辛いことも結構ありました。爆弾低気圧が来てフェリーが欠航になった日の朝の気分は本当に最悪です(笑)

 

1年が過ぎると、少しはものが見えてくるようになります。

最近は、今まで与えられていた定型の業務に加えて、礼文町の「地域おこし」について調査する仕事をしています。

 

「地域おこし」とは何か?

しかしこの「地域おこし」というものが曲者で、考えれば考えるほど、また住民の話を聞けば聞くほど、逆にわからなくなってきます。机上では簡単に述べられる「地域おこし」の概念も、いざ現実にぶつかってみると、複雑怪奇なものになりました。同じ島でもたくさんの人がいて、異なる方向を向いているのです。時に人は驚くほど異なったものの見方をするものであり、自分の思い通りにはならない。協力隊活動1年目で学んだ一番大きな果実はこれかもしれません。「地域おこし」とは何か?という問いは、突き詰めれば「幸せとはなにか?」「人はどう生きるべきか?」という個人の哲学的な問いになっていくと思います。

 

最後に

結局、スーダンの村に電気を通した方がよかったのかはわからないままです。前述のNGOの代表があの時私に言いたかったのはおそらく、現実の感覚を持て、ということだったのでしょう。勝手にそう解釈しています。

現実は、学生時代に自分が考えていたような「抑圧された都会と解放された田舎」のような単純な図式ではまったくありませんでした。しかし、それを知れたこと自体、大きな収穫です。礼文島に来て、自分の視野が一回り広くなったのはきっと気のせいではないと思います。

 

もうすぐ協力隊活動は2年目になります。その後どうなるのかはまだ未知数です。地域おこしを続けるのはひとつの選択肢です。辞めて元どおりの「都会で会社員として働く人生」に戻ることも十分あると思います。 

 

この記事がどこまで協力隊を考えている人の参考になるかはわかりませんが、何かしらのヒントになれば幸いです。

 

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