北海道礼文島移住雑感:礼文島の日没を見届けて感じること
こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。最近は日も長くなり、晴れる日も増え、週末はニコンのカメラを片手に日没を見届けるようになりました。
島に来て約一年、繰り返される日没を見届けながら、感じていることがあります。それは「太陽の力」、そして「昼」と「夜」の関係性についてです。
太陽が出ていれば明るくて、沈んだら暗くなる。そんな当たり前のことを島にいると強く感じます。
都会にいた頃、「夜」のイメージは華やかなものでした。渋谷などの街が静まり返るのは、始発前、午前5時ごろだったと思います。一方、島の夜は本当に静かで真っ暗です。正直怖いです。
しかし、この「怖さ」こそが夜を支配する本当の原理だと思うのです。心の闇が顔を出すのも大抵夜だと思います。
日没は「昼」と「夜」の境界線です。実際、日没を見届けたあとは急激に身体が冷えていきます。
最近、宮崎駿の『もののけ姫』を観ました。『もののけ姫』では、前述の「昼」と「夜」の関係性がシシ神を通して象徴的に描かれていると私は解釈しています。
たとえば作品の最後、破壊と殺戮に塗れた巨大なデイダラボッチが消えていくことで長い「夜」が終わり、「昼」がやってきます。そして新たな生命が暗示されます。
ついでに言えば、「命を与えもするし、奪いもする」シシ神は、自然そのものの象徴であると思います。海は人の命を時として奪いますが、同時に恵みをあたえてくれる存在でもあります。
生きている限り、「昼」と「夜」の終わりなき交代プロセスが続くのではないか。島に暮らしているとそう思います。
独りで静かに海の向こう側にいる太陽が沈むのを黙って眺めていると、自分の存在の輪郭が浮き上がるような感覚になります。無限に近いような強力な太陽を前にして、自分の有限性を自覚するのです。昔の人々の間に素朴な太陽信仰が現れたのも無理はないと思います。
私は日没を見届けるとき、太陽に小さな声で「さよなら」をします。そして暗い夜を待ち受けるのです。