北海道礼文島移住雑感:私が礼文島で学んだもの -「共同体感覚」について-
(写真は昨日撮った猫岩)
こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。
前回、こんな記事を書きました。礼文島への一移住者としての視点を書いたものです。
今回も、ひとりの都会からの移住者として、自身が礼文島で学んだ事柄について書いていきたいと思います。
「共同体感覚」について
ここでいう「共同体感覚」は島で自分が感じたことを概念化したものです。ですので、私の言う意味として理解していただければと思います。
島に来る前、私は東京に住んでいました。
東京では、大学に通っていたり、会社員として働いていました。
わずかの間ですが、東京都にも税金を納めていました。
しかし、仕事等を通じ、私が「自分は東京という共同体の一員なのだ」という意識は皆無でした。
そこでの仕事は純粋に自身の労働力、時間と引き換えに賃金を得るという純粋に個人的な交換行為であり、あくまで個人的なものに過ぎませんでした。
こう思ったことはあります。毎日ある時間になると労働者の群衆が通勤ラッシュで大手町など数カ所に集められ、ある時間になると離散していく様を見て、自分たちは東京という巨大で自律的なシステムの道具になっている。さながらフリッツ・ラングの映画『メトロポリス』のような世界です。自分は、自らの生産物、あるいは東京という都市から疎外されているように感じました。
最近よく「絆」や「つながり」の必要性が叫ばれ、「公共哲学」が提唱されていたりします。孤独死なども身近な問題になっており、「明日は我が身」と怯える人もいると思います。礼文島社会も決して例外ではないと思います。
しかし、そんな中で私が礼文島で働きながら感じたのは、自身が「島という共同体の一員」であり、「島社会の責任の一端を負っている」という感覚です。良いことも悪いこともともに分け合う、そんな感覚です。それはよく言えば「つながりが強固である」ということであり、悪く言えば「しがらみが強固である」ということです。
島は小さいので、自身がする仕事の島に対する貢献や成果が見えやすい。それが共同体感覚にも繋がっていると思います。逆に言えば、東京の経済システムはあまりにも巨大過ぎ、また非人格的すぎるので、そういった感覚を持ちにくい、あるいは持てないのだと思います。
もし仮に、現在が「無縁社会」として行き詰まっているのであれば、こうした「共同体感覚」は次の社会のための鍵概念になり得ると私は思います。他人の行為にもある程度の責任を引き受ける。この「足枷」が重要なのではないのかと島に来て改めて思いました。
(参考)