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日本最北限・北海道礼文島暮らし

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北海道礼文島移住雑感:「島だから」? -「仕方がない」という感覚について-

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(霧の日の礼文島スコトン岬。海霧は島の言葉でジリと呼ばれている。何も見えない)

 

こんにちは。地域おこし協力隊のはやとです。現在礼文島は観光シーズン真っ只中ですが、最近は天気が悪い日が続いています。記事冒頭の写真は礼文島最北端にあるスコトン岬で、晴れればとても美しいのですが、天気によってはせっかく遠くから来ても全く何も見えないこともあります。自然が相手ですので、仕方ないことです。

 

今日は、そんな「仕方がないこと」をテーマに、礼文島に移住した雑感を書いていきたいと思います。

 

島に移住して、「仕方がない」と思うことが多くなりました。

 

礼文島は、晴れていれば天国のような美しい島で、Googleのイメージ検索などで写真を探すと美しい写真ばかり出て来ますが、実際は曇りの日も多いです。

 

島に住んでいると、島を出る予定を立てても、波が4m以上だと一般的には外界とつながる唯一の経路であるフェリーが欠航になるため、予定が全部キャンセルになってしまいます。

 

冬になれば、どんなに疲れていても、家付近に雪が降り積もるため、雪かきをしなければなりません。

 

島の人はよく、「島だから」と言います。島は特殊であるため、霞ヶ関など中央が決めた杓子定規の法律等の運営には無理があり、島ルールのようなものが法律とは別にあると考えられます。

 

また、島の人が「島だから」と語尾につけるとき、それは何か新しいことをしようとすることに対する否定的な牽制のような響きを伴うこともあります。「島だから、○○してもうまくいかないだろう。だから何もしなくてもいいのだ」という意識が背後に隠れていることもあります。

 

私は、そんな「仕方がない」という感情に対して、肯定的な側面と否定的な側面の両方が存在すると思います。

 

(1)肯定的な側面

まず肯定的な側面ですが、私は東京にいた時、我慢が大の苦手でした。少しでも我慢したり、不快なことを感じる可能性が有る場合、お金にものを言わせてそれらの要因を少しでも取り除こうとしていました。「世の中には、どうにもならないことがある」という命題をどうしても受け入れることができなかったのです。「人生や環境は、自分の力でコントロールできる」という近代人のエートスを持っていたのです。

 

同時に、私は都会にいた頃からこのエートスに対して漠然とした虚しさを感じていました。

 

礼文島は、そんな自分に対し、雄大な自然と宇宙の中で、自分にはどうにもならない巨大な何かが<<存在する>>のだと教えてくれました。これは、非常に大きな財産だと思っています。

 

(2)否定的な側面

次に、否定的な側面ですが、島にいると、何となくやる気がなくなっていく自分に気がつきます。特に、都会に一時的に出て行った後に島に戻って来たときはなおさら感じます。

 

都会であれば、夜9時に電球が切れても、近くの家電量販店に行けばまだ間に合うかもしれません。ですが島で同じ時間に同じ出来事に遭遇した場合、今度の土日にフェリーに乗って、稚内ホーマックに行くしかないのです。これは小さな例ですが、こうしたことが積み重なると、新しいことをやろうとしてもなかなかやる気が出てこないという状況に陥るのではないかと思います。

 

地域おこし協力隊としての自分たち外部人材に求められているのは、そんな島の閉塞感を打開する都会のエートスなのでしょうが、なかなか難しいところがあると個人的には思います。ある意味で、都会は巨大な公共財であり、田舎はそれが利用できないので、なかなか都会のようにうまくはいきません。

 

都会と田舎、どちらも人間の営みであることには変わりないので、どちらが正解という訳ではないと思います。

 

しかし、離島で暮らすと、東京基準で作られた世界に対して、また少し違うことがふと思い浮かんだりするのです。

 

(晴れた日の礼文島スコトン岬)

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