Cooking Rebun

Cooking Rebun

日本最北限・北海道礼文島暮らし

食材・お店 / 観光案内 / 地域おこし / 冬の礼文島 / 住民アンケート

北海道礼文島移住雑感:「地域おこし協力隊」の月と6ペンス

f:id:hayato_kat:20170127201657j:plain

(写真はトド島展望台から見た夏の礼文島の景色)

 

こんにちは。礼文町地域おこし協力隊のはやとです。もうすぐ協力隊員として礼文島に着任してから1年が経ちます。そこで「地域おこし協力隊」に興味がある人向けに、制度について、なぜ自分は協力隊になったのか、礼文島で実際に1年活動して何を感じたのかを書いていきたいと思います。(ちなみにブログ記事タイトルの「月と6ペンス」は、サマセット・モームの同名の小説からとったもので、「手の届かない理想」と「現実」のコントラストを象徴しています)

 

doogear.hatenablog.com

 

目次

 

「地域おこし協力隊」制度とは

「地域おこし協力隊」は、主に都市部に住んでいる人が、田舎に最大3年間移住し、起業や就業・就農を目指す制度です。総務省の事業で、実際に運用しているのは受け入れ先の地方自治体です。協力隊の仕事は、「移住定住の促進」「観光PR」「青少年教育」など多岐にわたります。自治体ごとに異なるので、このあたりは説明会などに行ってすり合わせをするのがよいでしょう。応募者も自分の人生を賭けた選択なので、聞きたいことは根掘り葉掘り聞いた方がいいと思います。できれば実際にその地域に行って、役場の方等とお話しするのがベストです(自分は礼文島が遠過ぎるのでできませんでしたが)。

 

www.iju-join.jp

 

なぜ自分は地域おこし協力隊になったのか

私には「このままでは日本が危ない!地方創生を現場から巻き起こしてこの世界を変えるんだ!」というような高い志はありませんでした。ではなぜ地域おこし協力隊になったのか。それは、「都会で大企業の社員として過ごす人生」以外の選択肢を探りたかったからです。順を追って説明します。

 

(1)学生時代:世界中を旅してまわった

私は大学時代を東京で過ごしました。また、在学中の暇な時間を使ってヨーロッパ、アメリカ、ロシア、アフリカなど世界中を旅しました。

そして旅をしながら、住んでいた東京や、世界中の都市でリアルタイムに進行していたグローバル化市場経済に強い違和感と不安を持ったのです。

「もし、世界が画一化してしまったら?」「チェーンの飲食店が世界の隅々まで覆ってしまったら?」その不安は、当時大学で学んでいた経済学の「利潤最大化」「ホモ・エコノミクス」などの考え方や、カール・ポランニーが『大転換』で述べていた経済至上主義への批判などとあいまって、徐々に世界に対する違和感として自分の心の中に沈殿していきました。

 

(2)社会人:「理想卿」としての田舎暮らしを夢想する

結局、旅から帰ってきたあとは普通に就職活動をして、企業に就職しました。しかしすぐに退職してしましました。前述の、「都市」に対する私の考え方と働き方の間の認知不協和が私を苦しめたのかもしれません。また、当時は社会人経験がほとんどなかったため、読んできた本の中の諸概念にがんじがらめになっていた可能性もあります。

 

会社を退職した後は、友人を頼りに、日本全国を旅してまわっていました。しかし、日本全国を旅していても、自分がこの先どうすればいいかは霧の中でした。

 

そんな中で、学生時代、アフリカ・スーダンのハサバラ村に行ったことを思い出しました。現地の伝統的な生活に触れた際、連れていってくれた国際NGOの代表に言われたある言葉を思い出したのです。

 

やっとのことでハサバラ村に電気を通し、救急車などを整備した彼に向かって、22歳の怖いもの知らずの私は「電気は、村の人々を本当に幸せにするのでしょうか?」と投げかけました。今から考えればすごいことを言ったなと笑ってしまいますが、彼はそれに対してこう返したのです。

 

「お前、ハサバラ村に住んだ方がいいんじゃないか?村で嫁さんもらって」

 

そう言われたときは「まさか」と思っただけでそんなに記憶に残っていませんでした。しかし日本中を旅しているうちに、自分の心の中でこのセリフが大きなウェイトを占めるようになりました。そして、たまたま友人に「地域おこし協力隊」制度のことを教えられ、スーダンは無理だが礼文島ならいけるかもしれないと思い、応募してみたのです。礼文町の案件をHPで見たその日に履歴書を書いて送りました。

 

(3)礼文町への着任:新たな価値観を求めて

あっという間に面接・採用となり、礼文町に「地域おこし協力隊員」として着任しました。初めて出勤した4月10日、役場や警察などで住民票や免許証などの手続きをしていると、雪が降ってきたのを今でも覚えています。われながらすごいところへ来てしまったと思いました。

 

そして、時間通りに届かない郵便、下水の通っていない環境に驚きながら、与えられた仕事を一生懸命こなしていました。島の方に魚をいただいたり、夏の観光アルバイトで来た女の子と花火を見たり、充実した日々を送っているうちに、1年近くが経ちました。もちろんいいことばかりではありません。辛いことも結構ありました。爆弾低気圧が来てフェリーが欠航になった日の朝の気分は本当に最悪です(笑)

 

1年が過ぎると、少しはものが見えてくるようになります。

最近は、今まで与えられていた定型の業務に加えて、礼文町の「地域おこし」について調査する仕事をしています。

 

「地域おこし」とは何か?

しかしこの「地域おこし」というものが曲者で、考えれば考えるほど、また住民の話を聞けば聞くほど、逆にわからなくなってきます。机上では簡単に述べられる「地域おこし」の概念も、いざ現実にぶつかってみると、複雑怪奇なものになりました。同じ島でもたくさんの人がいて、異なる方向を向いているのです。時に人は驚くほど異なったものの見方をするものであり、自分の思い通りにはならない。協力隊活動1年目で学んだ一番大きな果実はこれかもしれません。「地域おこし」とは何か?という問いは、突き詰めれば「幸せとはなにか?」「人はどう生きるべきか?」という個人の哲学的な問いになっていくと思います。

 

最後に

結局、スーダンの村に電気を通した方がよかったのかはわからないままです。前述のNGOの代表があの時私に言いたかったのはおそらく、現実の感覚を持て、ということだったのでしょう。勝手にそう解釈しています。

現実は、学生時代に自分が考えていたような「抑圧された都会と解放された田舎」のような単純な図式ではまったくありませんでした。しかし、それを知れたこと自体、大きな収穫です。礼文島に来て、自分の視野が一回り広くなったのはきっと気のせいではないと思います。

 

もうすぐ協力隊活動は2年目になります。その後どうなるのかはまだ未知数です。地域おこしを続けるのはひとつの選択肢です。辞めて元どおりの「都会で会社員として働く人生」に戻ることも十分あると思います。 

 

この記事がどこまで協力隊を考えている人の参考になるかはわかりませんが、何かしらのヒントになれば幸いです。

 

この記事が気に入ったらシェアお願いします!

北海道礼文島移住雑感:東京から北海道礼文島に移住してよかったと思うこと

f:id:hayato_kat:20170127102303j:plain

こんにちは、はやとです。礼文島ではカニ漁が始まっています。

今日は、東京から礼文島に移住してよかったと感じた4つの点を書いていきたいと思います。

目次

 

(1)空気がきれい

f:id:hayato_kat:20170127101809j:plain

個人的には、これが一番ではないかと思います。普段、島にいる間は全く意識しませんが、たまに東京や名古屋近郊の実家に帰るととてつもなく空気が汚いと思うようになりました。空気は、当たり前すぎてその価値をなかなか意識することはないですが、きっと心身によい影響を与えてるのだと思います。

 

(2)食べ物がおいしい

f:id:hayato_kat:20170127201206j:plain

礼文島でまずい食べ物に出会うことはあまりありません。漁師さんの知り合いからたまにもらう魚介類は格別です。生きたカニやとれたばかりの生々しいほっけなどと自分で格闘しなければならないこと自体、私にとってかけがえのない貴重な経験になっていることと思います。

 

(3)自然が豊か

f:id:hayato_kat:20170127102803j:plain

晴れた日の礼文島は、本当に美しいです。ちょうど昨日も、船泊から香深への通勤途中に見えた海、太陽、利尻富士のあまりの美しさに息をのみました。一年を通して、太陽の偉大さ、自然の声などを身近に感じることができると思います。

 

(4)価値観の変化

f:id:hayato_kat:20160922203423j:plain

礼文島では、お金を払う機会が都会よりも少ないです。すぐそこの漁港でとれた魚介類を運が良ければそのままいただくこともできます。その代わり、私も何かをします。都会ではすべてのものに値札が付いていますが、島ではそんなことはありません。東京では考えられなかったような視点が、礼文島にはあります。

 

 いかがでしたでしょうか。私自身、若い時期にこの島に来れて本当によかったと思います。また随時、移住してよかったと思うこと、そして「東京の方がよかった」と思うことの両方をアップしていきたいと思います。

 

この記事が気に入ったらシェアお願いします!

北海道礼文島基礎知識:用語集

f:id:hayato_kat:20170124090809j:plain

こんにちは。今日は、私が礼文島に来てよく耳にした言葉を紹介したいと思います。(※随時更新予定)

 

礼文島はルーツが東北地方の方が多いので、津軽弁の影響を受けているそうです。また、これらの用語集の中には、北海道の他の地域でも使う言葉が含まれています。ちなみに、漁師が話す言葉・アクセントは「浜言葉」と呼ばれています。

 

わや:やばい(文例:この前の吹雪はわやでしたね)

なまら:とても(注:「なまら」と「わや」は一緒に使えない)

しばれる:寒い

しゃっこい:(触った感触が)冷たい

ばくる:交換する

バカくさい:バカバカしい

じぇんこ:銭、金

ちょす:イジる。ものをイジる、人をイジってからかうのと両方の使い方がある

雪投げ:雪かき。「投げる」は「捨てる」の意。

内地:北海道以外の日本

 

うに:エゾバフンウニ。礼文で「うに」といえばバフンウニを指す。

のな:キタムラサキウニ

こっこ:魚卵

ほっけくん:毎年船泊中学校の生徒が船泊漁業組合の協力を得て作るほっけの燻製。

なぎる:海の波がない状態。なぎていると漁ができる。

しける:海の波がある状態。しけていると漁ができない。

ガス:濃い霧がある状態

根雪:冬のシーズン中溶けない雪(冬は基本的にプラスの気温になることがないため)

 

一便:フェリーの最初の便。電車の「始発」と同じ意味。

終便:フェリーの最終便。電車の「終電」と同じ意味。

島:礼文島のこと。

 

いかがでしたでしょうか。やはり漁師町だけあって、海に関する言葉は多いです。私も知らない言葉がまだまだたくさんあると思います。この記事が礼文島に興味がある方のお役に少しでも立てることを願っています。

 

この記事が気に入ったらシェアお願いします!

北海道礼文島生活:ギス子とビール

f:id:hayato_kat:20170117203338j:plain

 

みなさん、こんばんは。今日仕事帰りに礼文島船泊村の漁業組合に寄ったら、私の大好きな「ギス子」があったので、紹介します。以前記事で紹介したストアです。

 

cookingrebun.hatenablog.com

 

「ギス子」とは、ギスカジカの魚卵です。ちなみに、礼文島では魚卵のことを「こっこ」というそうです。たとえば、ほっけの魚卵は「ほっけのこっこ」です。写真は、ギス子を醤油漬けにしたものです。

 

ギス子の醤油漬けは、礼文にきてから職場の先輩に勧められたのですが、これまたうまい。北海道の珍味だそうです。ビールに合います。ちなみにこのビールは今流行りのキリン一番搾りの名水百選仕込み「北海道」です。

 

フェリーターミナルすぐそばの「海鮮かふか」などでも食べられるので、礼文島にきた際はぜひチャレンジしてみてください!

 

食べログ海鮮かふか」

https://tabelog.com/hokkaido/A0109/A010906/1005453/

 

2017/1/23 追記

おととい、島でとれたマダラのこっこの醤油漬けをいただいたきました。こちらもとても美味しかったです。(見た目はギス子より少し粒が小さいくらいでほとんど同じなので、写真は省略します。)

北海道礼文島生活:飯寿司について

あけましておめでとうございます。みなさん、お元気ですか?こちらは雪がすごいです(笑)。島中、除雪車が走り回っております。

 

さて、今日は、礼文島の冬のご馳走、飯寿司(いずし)を紹介します。

 

f:id:hayato_kat:20170113220921j:plain

 

はい、これです。左がほっけの飯寿司、右がとんべつかじかの飯寿司。右の方はレアです。島では普通、秋にとれたホッケを麹に漬けて飯寿司を作るそうです。冬の保存食ですね。北海道の他の地区ですと、鮭を使ったりもするそうです。

 

好みが分かれると言う飯寿司、私はイケました!ちなみに、飯寿司は各家庭によって味が違うそうです。韓国でいうところのキムチみたいなものですね(食べたことないけど)。もうひとつちなむと、秋の礼文島では、各家庭でいくらの醤油漬けを作ります。

 

この飯寿司、家の近く(船泊)のパーラーというバー(島民には居酒屋と呼ばれている)でも出てきました。みなさんも、冬の礼文に立ち寄ることがあったら、一回くらいは食べていただきたいです。

 

以上、冬の礼文島グルメレポートでした。

 

この記事が気に入ったらシェアお願いします!

北海道礼文島基礎知識:香深村と船泊村について

こんにちは。今日は、礼文島の基礎知識として、島の南の香深(かふか)村と北の船泊(ふなどまり)村という2つの地区について紹介します。

香深と船泊って?

平たく言えば、島の南側が香深、北側が船泊です。

礼文島は1959年に町政が施行され、現在の島の行政単位は礼文町です。1956年に対等合併する以前、島には香深村と船泊村があり、役場もそれぞれにありました。礼文町の役場は香深にあり、船泊には支所が置かれています。

礼文町の住所は北海道礼文群礼文町大字香深村・大字船泊村のどちらかしかありません。大字の次に字○○と続きます。

 

f:id:hayato_kat:20161106113409j:plain (フェリーを離島料金で乗るための申請書。島民なら使えます)

 

現在でも、「香深の人」「船泊の人」と言ったりします。それぞれに漁業組合があり、漁業権も別です。お祭りもそれぞれでやったりします。同じ島でも、両地区は文化が違ったりします。

 

香深地区

 

 

島の南側です。役場やフェリーターミナルがあります。郵便局・稚内信用金庫・マリンストア・中村商店・中島商店などがあります。観光名所としては桃岩展望台・地蔵岩・猫岩などがあります。

 

船泊地区 

 

 

内路郵便局を挟んだ北側が船泊村です。郵便局・マリンストア・丸竹などがあります。船泊村は大備(おおそなえ)のレインボー商店街が中心地になります。観光名所は、スコトン岬・澄海岬・ゴロタ岬・久種(くしゅ)湖などがあります。

 

もし、礼文島に旅行することがあったら、出会った島の人に「香深の人ですか?それとも船泊の人ですか?」と尋ねてみてください。

  

参考文献

礼文町の概要 | 北海道礼文町

礼文町誕生60周年記念事業|礼文島観光協会

 

この記事が気に入ったらシェアお願いします!

 

北海道礼文島生活:鱈の三平汁

ついに、楽しみにしていた礼文の冬の味覚・鱈の切り身とたち(たらの白子)を島の人からいただきました。たらちゃーん!

 

f:id:hayato_kat:20161105200356j:plain

すごい迫力ですよね。こいつを、三平汁にします。三平汁とは、主に北海道で食べられている塩ベースの鍋です。

 

材料

  • 鱈の切り身
  • 長ネギ、人参、大根、じゃがいも等の野菜(お好みで)
  • 利尻昆布
  • 塩、酒

下ごしらえ

  • 前日に、たらの切り身に塩をふっておく。

レシピ

  1. 水を入れた鍋に利尻昆布を入れ、出汁をとる。
  2. 野菜を入れて沸騰させる。
  3. 沸騰したら、鱈の切り身を入れる。
  4. 鱈が食べごろになったら、塩・酒で味を整える。

これだけです。

 

特に味付けしなくても、塩だけで十二分に美味しいです。偽物では作れない、繊細な味がします。

〆でご飯を入れて雑炊にするとGoodです。

雑炊のあまりの美味しさに、胸が熱くなりました。まさに最高級の味。

 

ちなみに、たちはアヒージョにして酒のつまみにしました。

たちとにんにく、鷹の爪を炒めて、オリーブオイルで煮詰めれば出来ます。

 

余談ですが、島で魚を食べていると、命のありがたみを感じます。

「いただきます」と手を合わせることの意味を知りました。

 

礼文グルメレポートでした。

 

この記事が気に入ったらシェアお願いします!